
菊の原産地は中国で、日本には奈良時代中期に遣唐使などによってもたらされたと言われています。当時は薬草として利用され、不老長寿の妙薬とされ、霊力を持つといわれた花です。
各地から鮮やかな菊まつりが始まります
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昔から行われてきた「菊花展」とは、
菊づくりを趣味にする愛好家が、その腕を競うコンテストで秋に全国の公園や植物園、神社、あるいは町内の神社や公民館などでも開催されます。歴史は古く平安時代に入って中国思想の影響を受けると、古来中国では菊は不老長寿の妙薬として珍重され、旧暦9月9日「重陽の節句」には菊の花を浸した「菊酒」を飲み交わし、長寿を祝ったと伝えられています。この故事にならい長寿を願う行事として平安時代には宮中行事となり、「菊酒」を飲み交わし、菊を歌った和歌を競い、また現在で言う菊花展のような品評会を開き、菊の美しさを競わせたといいます。後に庶民へと広まり、江戸時代前期から菊の栽培熱が高まり、多数の品種が生み出され、庶民の間でも「菊合わせ」と呼ばれる新花の品評も行なわれたそうです。そんな中で「菊人形」の見世物も江戸時代末期の文化年間に、現在の東京の巣鴨に集まっていた染井の植木屋から始まりました。明治に入るとより豪華な見世物になり、お金を取る興行へと発展。そんな中で、菊が皇室の紋章として公式に、定められたのは明治2年。宮内省は皇室を中心として菊を鑑賞する為に、明治11年には赤坂の仮皇居で初めての「菊花拝観」を開催。明治13年からは「観菊会」と名称が変更になり、震災などで中止する年もありましたが、毎年開催。それに合わせて当時は、菊は一部の上流階級の人々の趣味として明治末期から大正時代にかけて栽培が行われていましたが、地方でも菊花展を毎年開催する所も出てきます。昭和24年からは観菊会は新宿御苑で一般に公開されるようになります。また、昭和30年代からの高度成長期には、趣味の一環として菊を作ってみようという人が増え、栽培が盛んになり菊の鑑賞を楽しむことも流行にもなりました。そのため、昭和50年頃には各市町村が競うかのように菊花展を開催し、菊の栽培が全国へと広がっていきました。
中国から伝来した菊が鑑賞の花へ、
キク科の多年草。中国で1500年ほど前に交配によって生まれたとされています。また、古来よりも不老長寿の妙薬とされ、日本へは奈良時代中期に遣唐使などによってもたらされ薬草として入ってきました。その後、観賞用の菊も伝来し、江戸時代には盛んに品種改良が行われ、当時には、現の花形のすべてが作られたといいます。この観賞用は、「和菊」と呼ばれ、花の大きさから18センチ以上の大菊は、花型によって「厚物」、「管物」、「広物」に分けられる。9センチ以上の中菊は、江戸菊、肥後菊、伊勢菊、嵯峨菊、美濃菊、奥州菊などがあり、名の通りに地方の地名の菊で、江戸中期に各地の殿様の保護奨励によって地域独特の発展を遂げた菊で「古典菊」とも呼ばれます。さらに小菊の3種類に分けられます。和菊は、気品があるが、欧米で改良された菊は「洋菊」と呼ばれ華やかな雰囲気。ですが、西洋において菊は墓参に用いられ、日本でもこの影響を受けて葬儀の際の献花には菊が用いられることが多いです。
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